プロリン

池上さんが世界を変えた本として大学で講義を行いました。

その際に、第三回目で紹介されたマックス・ウェーバー著「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」について紹介します。

 

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マックス・ウェーバー著「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」第1回目の解説の記事では、プロテスタントを信仰している国々で資本主義経済が発展してきたというのがわかりました。

第1回目の記事はこちら

 

しかし、資本主義経済というのは「労働力」を資本とすることで、富裕層と貧困層の経済格差が大きく浮き彫りになってしまう経済だということが知られていますよね。

詳しくは池上さんが世界を変えた本の2冊目として紹介したマルクス著の「資本論」の解説記事をご覧ください。

 

 

経済格差

今回はまず、プロテスタントがその経済格差とどう向き合っているのかを紹介していきます。マックス・ウェーバー著「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」を引用します。

実業家は宗教的な禁欲の力によって、真面目で、良心的で、異例なほどの労働能力を備えた労働者を雇用することが出来たのであり、労働者は労働を神が望まれた生活の目的と考えて、熱心に働くのだった。

現世において財が不平等に分配されているとしても、それは神の特別な節理の働きであると、市民的な実業家は心を休めることが出来たのである。

神は特別な恩寵を人々に与えるのと同じように、このような違いを作り出すことによって人間には認識することのできない秘密の目的を推進しているのだと、自らに保証するのだった。

 

お金を貯めることによって工場を設立します。そこで、労働者を雇い、商品を製作するようになることで、資本家へとその立場が変化していきます。

その中で、労働者は資本家よりもお金を得ていない状況が生まれます。そもそも労働を得ることが出来ない失業者も出てくるかもしれません。

そこで、こうした格差は「神様がお決めになっていることなんだ」という教えがあれば、資本家は心が休まりますよね。

つまり、資本主義経済が発展すればするほど大きくなる経済格差ですが、それを容認してしまうという社会が形成されるのです。

容認されるとより大きな格差が生まれてきます。

そうしてついに、貧困層の労働者たちが「労働運動」を起こすようになるのです。

 

富裕層にお金が集まり、労働者は一向にお金が増えてこない。そんな状況を何とか打破しなくてはいけない・・・そして、なぜそうなっているのかというのを経済的に分析したのが上記で記載したマルクス著の「資本論」になるわけです。

マルクスは「資本論」の中で、宗教はアヘンであると解説をしています。

つまり、現世でたとえどんなに貧しくても、死んだら天国へ行けるのだからいいやと、改革をする気にならないと説いたのです。

 

 

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アメリカ

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宗教弾圧によって多くのプロテスタントが宗教的自由を求めてアメリカに渡りました。このアメリカに渡ったプロテスタントによって資本主義は変化していくこととなりました。

営利活動が最も自由に解放されている場所であるアメリカ合衆国においても、営利活動は宗教的な意味も倫理的な意味も奪われて、今では純粋な競争の情熱と結びつく傾向がある。

ときにはスポーツの性格を帯びていることも稀ではないのである。

 

歴史のあるヨーロッパにおいては、倫理的規制や歴史的規制など、とにかくルールが多くありました。しかし、そんな中新天地を求めてたどり着いたアメリカではルールのない所からルールを作る作業から始まります。

つまり、とにかく自由だったのですね。

ひたすら働き、資本を蓄え、事業を大きくしていくという資本主義の精神だけがアメリカに行き、そのバックボーンであった宗教的な意味合いが抜け落ちたものが大きくなっていきました。

その結果、「金持ちが勝ち」のようなスポーツ的感覚を持った強欲な経済が発展していったのです。

 

しかし、こうした経済のもと強欲になりすぎて大失敗をすると2008年のリーマンショックのような事態に陥るのです。

 

 

さて、1回目の解説の記事を読んでいただければ、ここで疑問が生じてくるはずです。

そもそもプロテスタントの考え方があったからこそ、自分は神から選ばれた存在だと認識をするために、勤勉に働き、成功を収めようとしました。

しかし、すでにアメリカに渡った際にその宗教的なバックボーンを抜け落ちてしまったというのがマックス・ウェーバーの理論です。

ではなぜ、アメリカはより大きな経済的発展を遂げることが出来たのか・・・。

 

これはそもそもがプロテスタントの考えを持つ家庭で育った人間がアメリカにわたっているため、その教育は宗教と関係なく受け継がれることになったのです。

こうして労働に対して勤勉な民族が形成され、さらにそこにスポーツ的競争が加わり大きく発展していったという格好になるのですね。

池上さんの解説によるとアメリカ全土にわたって宗教的なバックボーンが抜け落ちたわけではなく、共和党にはプロテスタントの考え方が見え隠れすといいます。

そのため、経済格差は自己責任である、努力をすれば成功をする、成功をしていない場合は怠惰であるためであるという考え方をするのです。

しかし、民主党は貧しい人達に国が援助をすべきなのでは・・・という考え方を持つため、対立をしているのですね。

 

 

日本

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さてここで日本に目を向けます。

日本はドイツと同じように経済的に大きく発展してきました。プロテスタントではないのに勤勉であり、お金を貯めてもそれによって怠惰になってしまうような人は非常に少ないです。

プロテスタント的なバックボーンがないのにもかかわらず、資本主義経済が発展してきました。

これはなぜなのでしょうか・・・。

 

池上さんは学生に質問を投げかけ、返ってきた答えには以下のようなものがありました。

「雀の宿のような日本昔話で、良いお爺さんは成功して、悪いお爺さんは失敗するという話が多いです。そのため、お天道が見ているという精神が根付いているのではないかと思います。」

 

「昔あった五人組などの制度から、日本で集団行動をするにあたって、あまりダラダラしている人というのは周囲に嫌われていくので、嫌われたくないという感情から日本では勤勉な精神が宿ってきたのではないか」

 

「日本は島国であるので、他国との貿易がそんなになかった時代・・・あっても大陸のように盛んではなかったので、自給自足の文化が根付いてそこから勤勉に働かないとそもそも生きていけないという理由のため、勤勉な国民性がつくられて、仏教でも無欲に勤労することが推奨されてその精神が今も続いているのではないか」

 

この問いには実はこれだという答えは存在しないようです。笑

しかし、池上さんはこうした仮説をいろんな角度から検証していくことが学生には必要であるということを訴えかけたかったのです。

 

さらに池上さんは学生に、極めてアメリカで成功した人物であるベンジャミン・フランクリンが言った言葉を送りました。

「時は金なりということを忘れてはならない。

自分の労働で一日に10シリングを稼ぐことが出来る者が、半日出歩いたり、何もせずに怠けていたら、その気晴らしや怠惰のためには6ペンスしか使わなかったとしても、それで出費が全てだと考えるべきではない。

実際にはさらに5シリング使った、というよりも、捨てたのである。」

 

これは現代には「機会費用」と呼ばれているものです。

朝起きて、無限に可能性はありますが、何かを選択して行動するということは、他のものを捨てたのと同じことであるということ。

常に選択をして行動をしていますが、選択した瞬間に他のことはできないということが決定します。

それならば選択したものに一生懸命に取り組んで、充実させようという発想が大事なのですね。

 

 

 

 

pazoo
平成生まれの思うこと

日本人というのは非常に不思議な民族であると感じますねえ・・・。

勤勉さで経済的に大きく発展してきましたが、競争心という点で世界各国に負けている結果、今の日本が形成されるに至ったのかなあと感じます。

日本に古来から根付く神道。

 

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そうした日本に根付いた宗教的な側面から日本を分析してみるというのも非常に面白そうに感じました。