新自由主義

 

池上彰さんが名古屋の名城大学にて「世界を変えた本」と題して講義を行った際、5冊目に紹介したのがフリードマン著「資本主義と自由」。

今回は、池上さんが解説したフリードマン著「資本主義と自由」を紹介します。

 

 

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ミルトン・フリードマン

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「資本主義と自由」を書いたミルトン・フリードマンはアメリカの経済学者で、「新自由主義」の思想を打ち出した人物です。

経済における「自由主義」というのはイギリスの経済学者であるアダム・スミスに起因する印象があります。

自分の利益のために働けば、自由にマーケットが回り、「見えざる手」によって導かれて経済がうまく回っていくと説きました。

 

これが「自由主義」と呼ばれるものです。

 

そんな中、国が経済活動に介入することによって景気をコントロールしようという考え方を提唱するのが、池上彰さんが「世界を変えた本」の4冊目として議題に上げたケインズ著「雇用、利子および貨幣の一般理論」。

国債により、国が一時的に借金をして公共事業を大規模に行うことで雇用を生み出し、景気を回復させようと提唱しました。

それに真っ向から反発したのがフリードマンが提唱した「新自由主義」。

上記のケインズ著「雇用、利子および貨幣の一般理論」の解説記事を読めば、国が介入した経済のコントロールから新自由主義が生まれる過程がよくわかります。

 

 

リバタリアニズム

ミルトン・フリードマンは、ユダヤ人であり、両親はともにハンガリーからの移民でした。

そのため非常に貧しく、差別もうけてきた中で、独身独歩・・・自分の力で道を切り開いてきたという自負がありました。

そして飛び級で大学に入学し、シカゴ大学の教授になりました。そこで次々に自分の弟子たちを育てていき、やがては「シカゴ学派」という経済学派が誕生するに至ります。

シカゴ学派は、市場の有効性を前提歳、政府介入を極力否定するという考え方です。こうした経済学におけるフリードマンの考えは「リバタリアニズム」と呼ばれています。

 

「リバタリアニズム」=「徹底的な事由が素晴らしい」=「自由至上主義」

 

「自由」と聞くといいイメージを思い浮かべるかもしれませんが、「リバタリアニズム」の場合、人に迷惑をかけない限り、どんな自由でも良く、好きに生きていいという思想です。非常に極端な思想でもあります。

ジョン・F・ケネディが大統領になった際の大統領就任演説では

 

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「諸君、国家が諸君のために何をしてくれるかを問うな。諸君が国家のために何ができるかを問うべきだ。」

 

という有名な一説があります。池上さんは小学生だった当時にこの演説を聞いて「カッコいい」と思ったそうですが、フリードマンはこう記しています。

 

まず前半の「国が諸君のために」何かをしてあげるという温情あふれる言葉は、政府が保護し国民が保護される関係を連想させる。

このような関係は、自分のことは自分で責任をとるという自由人の考え方と相いれない。

次に後半の「諸君が国のために」何かをするという部分では、国家が一つの生命体と見立てられており、政府が主で国民が僕という関係を連想させる。

だが自由人にとって国は個人の集合体に過ぎず、それ以上でもそれ以下でもない。受け継がれてきた国の文化を誇りに思いもするし、伝統を守ろうともする。

だが、自由人にとって政府とは一つの手段に他ならず、何か施しをしてくれる優しい庇護者でもなければ、敬い仕えねばならない主人でもない。

また国家の目標も、一人一人の目標の集合体としてしか認めない。自由人は国が自分に何かをしてくれるかを問わない。自分が国に何をできるかも考えない。

その代り、自分の責任を果たすため、自分の目標を達成するため、そして何よりも自分の自由を守るために「自分は、あるいは仲間は、政府という手段を使ってないができるか」を考える。

また、自由を守るためにつくったはずの政府が「自由を破壊する怪物と化すのを防ぐにはどうしたいいか」ということも考える。

 

ぼろくそですよね。笑

フリードマンは「自由人は国をあるいは国家権力をどう自分の都合のいいように使いこなすかだ。しかし、国家権力は我々の立場を脅かしかねないため、チェックをすべきだ」という考え方をしており、これがリバタリアニズムなのです。

こうした考え方に影響を受けたのが、アメリカの元大統領であるレーガン大統領とイギリスのサッチャー元首相。

 

 

小泉改革

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こうした「新自由主義」の考え方は日本でも非常に大きな影響を与えています。

皆さんも記憶に新しい「小泉改革」を推し進めた小泉・竹中コンビです。

  • 不良債権を徹底的に処理する
  • 派遣労働の規制を取り払った

などが上げられますが、その中でも郵政民営化は大きな改革でしたね。

 

それまで国が運営していた郵便・簡易保険・郵便貯金を民営化し財政再建を図るという改革です。

しかし、こうした改革によりリーマンショック当時には多くの派遣労働者が切られ、生活をできない状態が余儀なくされたという人が公園にあふれかえったという状況がありましたね。

そのため、批判も強いわけなのですが、こうした「新自由主義路線」は小泉さんのもと始められたものではありませんでした。

その前の橋本元総理の時代からも「新自由主義路線」の改革は始まっていたのです。

日本の場合は戦後からケインズ政策が取られ、現代に至るまで新自由主義の経済改革との間を行ったり来たりしているのです。

 

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新自由主義の原則

こうした新自由主義の原則としてフリードマンが提唱するのは以下のようなものがあります。

 

第一の原則は、政府の役割に制限を設けなくてはいけないということである。

政府の仕事は、個人の自由を国外の敵や同国民による侵害から守ることに限るべきだ。

そのために法と秩序を維持し、個人の契約が確実に履行される環境を整え、競争市場を育成する。

このほか、個人でやるのは難しく、資金がかかりすぎる事業に政府が力を貸すことは、あってもいいだろう。

ただ、政府をこのように利用するのは常に危険を伴う。政府は大いに利用すべきだし、どのみちぜんぜん利用せずに済ますことはできない。

しかし、メリットの方が明らかに大きいことを確かめてからすべきである。

 

第二の原則は、政府の権力は分散されなければならないことである。

政府が権力を行使せざるを得ない時は、国よりも臭、州よりも群や市で行使することが望ましい。

自分の住む町のやり方が気に食わない時、それが下水処理にせよ、区画整理にせよ、学校制度にせよ、さっさと別の町に引っ越せばよい。

そこまでする人はめったにいないとしても、その可能性があるというだけで、権力濫用を抑止する効果がある。州のやり方が気に入らない時も、別の州に移る手がある。

 

地方自治というものがありますよね。

フリードマンが言うには、嫌ならいつでもほかに逃げることができるために地方自治が必要であると説いています。

こうすることで、人がいない地域にならないように政治家は考えるようになるのですね。

 

 

言論の自由

フリードマンは自由な市場には言論の自由も付随しているということを説きました。

池上さんが大学の当時に読んで、非常に驚いたフリードマンの思想というのが以下の部分。

 

例えばパンを買う人は、小麦を栽培したのが共産党員か共和党員か、民主主義者かファシスト化など気にしない。

パンに関する限り、黒人か白人かも気に留めないだろう。

この事実から、人格を持たない市場は経済活動を政治的意見から切り離すこと、そして経済活動において、政治的意見や皮膚の色など生産性とは無関係な理由による差別を排除することがわかる。

今の例からわかるように、現在の社会において競争資本主義が維持され強化された時最も恩恵を受けるのは、黒人、ユダヤ人、外国人など少数集団である。

こうした少数集団は、多数集団から疑惑の目で見られたり憎悪の対象になったりしやすい。にもかかわらず、じつに逆説的な現象だが、自由主義に敵対する社会主義者や共産主義者には、これら少数集団に属する人が目立って多い。

彼らは、市場の存在によって多数集団の威圧的傾向から守られていることを認めず、今もなお残る差別は市場のせいだと勘違いしている。

 

アメリカでは戦後、共産主義的な思想を持っている人を追放する運動が起こりました。ハリウッド映画の業界でも共産主義者は徹底的に排除されたのです。

言論弾圧です。

しかし、こうした運動によって排除された人がペンネームを使用して映画の脚本に応募したらそれが採用されたという例があります。

こうした背景などもあり、本人の思想に関係なく、能力のある人は認められるのである・・・そのために自由なマーケットは必要であるとフリードマンは説いたのです。

 

 

今回はここまで。

次回は自由を説いたフリードマンが政府の政策の中で「こんなものはいらない」と説いた政策について学生と討論するところから始まります。


 

 

 

 

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平成生まれの思うこと

池上さんが紹介してきた「世界を変えた本」の解説をずっと読んでいくと、かなり経済の歴史がわかってきます。

いろんな論理が展開されながら、ないものを追求していった結果今のバランスを持った経済が誕生しているのですね。

非常に深くねずいているように思いがちですが、実はそれは歴史があるだけで非常に曖昧な土台の上に成り立っているというのがわかります。

我々の周りにあるものでも、案外それは確固たるものではなく、もろく曖昧な存在かもしれません。

所詮人間が形成してきたものと言うことでしょうか。

 

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だからこそいろんな角度から物事を見れるようになるべきなのだと痛感しました。