池上彰さんが名古屋の名城大学にて「世界を変えた本」と題して講義を行った際、7冊目に紹介したのがチャールズ・ダーウィン著「種の起源」 。
今回は、池上さんが解説したチャールズ・ダーウィン著「種の起源」を紹介します。
スポンサーリンク
このチャールズ・ダーウィン著の「種の起源」がなぜ世界を変えた本として取り上げることが出来るのかと言うと、それはキリスト教的な生物間を根底から覆した本であるからです。
チャールズ・ダーウィンは開業医の父と、ウェッジウッドの創業者の娘である母の間に生まれました。
そんな裕福な家庭に生まれ育ったダーウィンは父と同じく医者を志していたのですが、ビーグル号というイギリスの測量船に乗って世界を回ったことによって人生観を大きく揺さぶられることとなりました。
この航海の際にガラパゴス諸島に立ち寄りました。
ガラパゴス諸島は南米のエクアドルから西に離れた絶海の孤島なのですが、この島には独自に進化した動物たちがいるのです。
フィンチという鳥では、島によって餌が違うために、このようにくちばしに変化が見られました。
ここに疑問を持ったのです。
そもそも生物と言うのはキリスト教において神様が作られたという常識が存在しました。
こうした環境でダーウィンも育ったわけですが、だとするとガラパゴス諸島では神様がこの島だけのために動物たちを作ったのか・・・いや、ここだけで独自に進化をしてのではないか・・・という進化論に基づく着想を得たわけです。
自然淘汰は、個々の利益を通して、その利益のためにしか作用できない。
但し、例えとても些細な価値しかなさそうに思える形質や構造に対しても作用することが出来る。
葉を食べる昆虫は緑色で、樹皮を食べる昆虫は斑入りのグレー、高山に住むライチョウの冬の羽色は白、ヌマライチョウは紫紅色、クロライチョウは泥炭色をしているのを見ると、それらの色合いはそれぞれの鳥や昆虫が敵の目をごまかすうえで役立っているのだろうと考えるしかない。
進化論については我々はちょっと違った捉え方をしてしまっています。
緑色の葉を食べる昆虫は体が緑色の方が、天敵に見つからずに済むため、緑に進化したと考えがちですが、実は突然変異でいろんな色の虫ができ、緑の虫以外は天敵に見つかって食べられてしまい、結果的に保護色である緑色の身体をした昆虫が生き延び繁栄したということをダーウィンは言っているのです。
スポンサーリンク
この「進化」についてわかりやすく解説をします。
イギリスの田園地帯にオオシモフリエダシャクという蛾がいました。これは名前のように霜が降りたかのような白と黒の模様が入った蛾でした。
しかし、突然変異で黒い個体が生まれます。
19世紀イギリスの工場地帯では、産業革命によって黒い煙が舞い、木の幹が黒くすすけてしまっていました。
こうして黒い個体は天敵に発見されにくくなり生き延びていきました。
しかし、本来の仕様である霜降り型の蛾は非常に目立つようになってしまい、あっという間に食べられてしまいました。結果的に工場地帯では黒い個体だけが生き延びる形になったのです。
今度は大気汚染が懸念され、きれいな大気になっていきました。
すると、木は黒ずんだものばかりではなくなり、本来の色味を取り戻してきます。
そうなると、オオシモフリエダシャクも霜降り型が目立たなくなり生き延びることができるようになり、今度は黒い個体が目立ち、姿を消していきました。
こうした環境による蛾の変化というのは実際に起きた話です。
恐竜はある日突然絶滅したと言われています。
その有力な説と言うのが、巨大な隕石が地球に落ちたことによって、砂埃が巻き上げられ大気を覆い、太陽光線が届かなくなってしまい、植物が枯れ、草食の恐竜が死にたえ、肉食の恐竜が死にたえたと言われています。
そして大きな体をしていた恐竜は絶滅し、エサが不足していた環境でも生き延びることが出来た小さい個体が現在の鳥などのような形で生き残ったのではないかと考えられています。
こうして環境と合致してたまたま生き延びることが出来るようになっていくことを自然淘汰といいます。
ダーウィンは自然淘汰の例について以下のようにも記述しています。
自然淘汰はどのように作用するのか、私の考えを明確に説明するために、仮想の例を一つ二つ延べさせていただきたい。
オオカミは、それぞれ知恵や体力や足の速さなどを利用して獲物を捕まえているとしよう。
そして、たとえばシカのような足の速い獲物が、その土地で起こった何らかの変化のせいで数を増やしたとしよう。
あるいは、オオカミが一番食物不足になる季節に、シカ以外の獲物が数を減らしたとしよう。
そのような状況で生き延びる可能性が最も高いのは、最も敏捷でスリムなオオカミであり、そういう個体が保存されるか選抜されていくのが当然だと思う。
ダーウィンはこうした仮説を立て、ひとつひとつ検証をしていったのです。
しかし、このダーウィンの進化論には大きな弱点が存在します。
それは我々人間についてが最たる例かもしれません。
ダーウィンの進化論によると、猿などの生物から突然変異が生まれ・・・そしてさらに突然変異が生まれ・・・とどんどん枝分かれして現在の人間が形成されていることになります。
すると、その途中経過の生物について存在している可能性がありますよね?そんな生物は見たことがあるでしょうか?
自然淘汰によって全滅してしまったとしても、その化石はあってもいいのではないかと感じますが、そうした化石も見つかっていません。
猿はいます。人間はいます。
その途中経過がすっぽり抜けてしまっているのです。これをミッシングリンクと言います。進化の移行過程が見つかっていないのです。
しかし、ダーウィンは自分自身の仮説はまだまだ完成しているものでもないし、当然反論もありえるだろうし、わからない点があるということを自身ではっきり明言しています。
こうした点を池上さんは科学者として非常に大事な点であると述べています。
今回はここまで。
次回は生物は神様が作ったものと考えるキリスト教との相容れない関係について紹介していきます。

「進化論」には実にいろんな見解があります。
しかし、ダーウィンが唱えているか説が不明確であるのと同様に、生物の変化というのもまた不明確な部分が多分にあるような気もしますね。
そうしてのらりくらり変化していった結果、実に多様な生物が存在するに至ったと考えるのが自然なのかもしれません。
そこまでをもしも神が設計していたとしたら、本当にすごいなあと感じます。
個人的には人体の巧妙すぎる構造や、天体の見事なまでのバランス、色彩の素晴らしさなど、神と言う絶対的な存在はいるような気がしてなりません。
しかし、ここまで色んな説がでるというのもまた、それはセンセーショナルな説であるという証拠です。
実に面白い!
スポンサーリンク