沈黙の春

 

池上彰さんが名古屋の名城大学にて「世界を変えた本」と題して講義を行った際、6冊目に紹介したのがレイチェル・カーソン著「沈黙の春」 。

今回は、池上さんが解説したレイチェル・カーソン著「沈黙の春」を紹介します。

 

 

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レイチェル・カーソンは動物学を学び連邦政府漁業曲で働いて、海や自然に関する論文を執筆した人物です。

「沈黙の春」は1962年にアメリカ雑誌に連載されたものを単行本として出版したものです。出版した際には300万部も売れたそうです。

この本は環境汚染と言うものを最も先んじて提唱したものであり、戦後当時に大流行した農薬などに対して警鈴を鳴らしたことでも非常に有名です。

 

なぜ「沈黙の春」というタイトルが付けられたかは、その書き出しを見ると一目瞭然になっています。

 

春が来ると、緑の野原のかなたに、白い花のかすみがたなびき、秋になれば、カシやカエデやカバが燃えるような紅葉のあやを織りなし、松の緑に映えて目に痛い。

丘の森からキツネの吠え声が聞こえ、シカが野原のもやの中を見えかくれつ音もなく駆け抜けた。

むかしむかし、はじめて人間がここに分け入って家を建て、井戸を掘り、家畜小屋を建てた、そのときから、自然はこうして姿を見せてきたのだ。

ところが、あるときどういう呪いをうけたのか、暗い影があたりにしのびよった。今まで見たことも聞いたこともないことが起こりだした。

若鳥はわけのわからぬ病気にかかり、牛も羊も病気になって死んだ。どこへ行っても、死の影。農夫たちは、どこのだれが病気になったという話でもちきり。

町の医者は、見たこともない病気が後から後へと出てくるのに、戸惑うばかりだった。そのうち、突然死ぬ人も出てきた。(中略)

自然は沈黙した。

薄気味悪い。

鳥たちは、どこへ行ってしまったのか。

みんな不思議に思い、不吉な予感に怯えた。(中略)春が来たが、沈黙の春だった。

いつもだったら、コマツグミ、ネコマネドリ、ハト、カケス、ミソサザイの鳴き声で春の夜は明ける。(中略)

だが、今は物音ひとつしない。野原、森、沼地・・・みな黙りこくっている。(中略)

ここを訪れる生き物の姿もなく、沈黙が支配するだけ。小川からも、生命という生命の火は消えた。(中略)

病める世界・・・新しい命の誕生を告げる声ももはや聞かれない。でも、魔法にかけられたのでも、敵におそわれたわけでもない。すべては、人間がみずからまねいた禍だった。

 

池上さんは「極めて印象的な書き出し」と評しています。

非常に豊かな自然の風景から一転し、最後には人間さえも死んでいき、全く音がしない春がやってくるというふうに書いています。

この本をカーソンが執筆するきっかけとなったのは、友人からの「農薬を散布したら野鳥が死んでしまった」という手紙によるものでした。

「沈黙の春」はこうした農薬による被害を規制していこうというきっかけを作ったという事で非常に有名な本であり、それゆえに池上さんは世界を変えた本として紹介するに至りました。

 

 

DDT

現代に生きる我々はあまり馴染みのない農薬になりますが、DDTという1939年に開発された殺虫剤が非常に大流行しました。

当初はノミやシラミの駆除剤として使用されていましたが、価格が安く、殺虫能力が高い為、農業に転用されるようになったのです。

日本では終戦直後、朝鮮や東南アジアなどから引き揚げてきた際に、様々な病原菌細菌類を持っている可能性が懸念されたため、GHQを中心にしてあたまからDDTをぶっかけて殺虫した歴史があります。

しかし、DDTが皮膚から吸収されることはなく、これによって病気になったという人はほとんどいませんでした。

これによってDDTは安全なんだという印象が強く付けられたわけなのですが、その後、農業に転用されることで体の中にDDTが蓄積されることとなり、様々な問題が生じてきたのです。

 

DDTが体内に入ってくるのは野菜からだけではありません。

食物連鎖により、DDTがかかった虫を食べた野鳥を人間が食べることにより、濃縮されたDDTを摂取してしまうことになります。

また、川に流れてしまうことによって地下水が汚染されて、そこからも摂取されるようになります。

 

このDDTを摂取することで非常に怖い点は、脂肪に蓄積されて母乳として幼児に与えてしまうこと。

さらには、母体の悪いものを胎児に吸収させないようにフィルター的な役割をする胎盤を通り抜けて、胎児にDDTが蓄積されていくということが、後になって判明したことです。

 

こうした農薬の歴史について「沈黙の春」では以下のように記述されています。

 

化学薬品スプレーの歴史を振り返ってみると、悪循環の連鎖そのものと言えよう。

DDTが市販されてから、毒性の強いものが次から次へと必要になり、私たちはまるでエスカレーターに乗せられたみたいに、上へ上へと留まることを知らず昇っていく。

一度、ある殺虫剤を使うと昆虫の方ではそれに免疫のある品種を生み出す(まさにダーウィンの自然淘汰説どうり)。

そこで、それを殺すためにもっと強力な殺虫剤を作る。だが、それも束の間、もっと毒性の強いものでなければ効かなくなる。

そしてまた、こんなこともある。殺虫剤を巻くと、昆虫は逆に「ぶりかえし」て、前よりもおびただしく大発生してくるのだ。(中略)

核戦争が起これば、人類は破滅の憂き目にあうだろう。だが、いますでに私たちのまわりは、信じられないくらい恐ろしい物質で汚染している。化学薬品スプレーもまた、核兵器と並ぶ現代の重大な問題と言わなければならない。

植物、動物の組織の中に、有害な物質が蓄積されていき、やがては生殖細胞を突き破って、まさに遺伝をつかさどる部分を破壊し、変化させる。

 

自然界では突然変異と言うものが起きます。

こうした種類はある農薬に耐えうるものも生まれる場合があり、それが今度は増殖してきます。

それが傍から見たらまるで農薬に強い種類に進化したかのように見えるのです。

こうしてどんなに強い農薬を作っても全てを駆除することはできない現象が起こります。

人間はとにかく目先のものを追いたがります。しかし、結局それはいたちごっこになり、気づいたころにはいろんなものを失てしまうのですね。

こうした問題に警鐘を鳴らし「沈黙の春」の出版に至るのですが、アメリカでDDTの使用が禁止されるのは1972年。

「沈黙の春」出版の10年後になりました。

 
 

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農薬ブーメラン

DDTの禁止に至ったものの、周り回って結局戻ってきてしまうという現象が起こりました。

どういうことかというと、農薬会社はアメリカで販売ができなくなってしまったためにそれを発展途上国に売りさばくようになります。

発展途上国では、こうした最新の技術と言うのは非常に重宝され、便利だと言って喜んで使用します。

そのため、アメリカが外国から輸入した作物にはたっぷりとDDTがかけられた作物が入ってくることになるのです。

 

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土壌を汚さないという点では効果的だったものの、世界的に取り締まりしない限り、人体に摂取しないように規制をするのは不可能ということにここで気づくのです。

 

こうした問題についてカーソンは以下のように記述しています。

 

許容量を決めるのは結局、みんなの食品が有毒な化学薬品でよごれても、作物の生産者や農産物加工業者が安い費用で生産できなくてはならない、という考えが根本にあるのだ。

そして、消費者の手に有毒な食品が回らないようにするためには、特別の管理の機関を設けなければならない。その維持費・・・税金を払わされるのは、結局消費者なのだ。

だが、おびただしい農薬が使用されているいま、このような管理機関が十分その機能を発揮するためには莫大な費用がかかり、それだけの予算を議会でとることはできない。

だから、結局消費者は税金を払うものの、相変わらず毒をもらい続けるという貧乏くじを引くことになる。

 

一部の企業の金もうけのために、我々の人体に危険が及び、それを対策するためには我々の税金が使用されるという非常に意味の分からないような循環生むのです。

しかし、カーソンはそうした消費者側の立場を守るような機関の必要性を説きました。

日本でこれが実現されたのは、なんと2009年につくられた消費者庁がそれにあたるのです。

遅ッ!!!!!!!!!!!

 

カーソンがこうした説を提唱してから実に50年近く経過しています。いかにこうした機関を作るのが大変なことなのかということがわかります。

大事なのは企業の利益なのか、人間の健康なのか・・・。

 

 

今回はここまで。

次回は日本においてこうした環境問題を提唱した先駆け的存在であると言われる有吉佐和子さんの「複合汚染」などを紹介していきます。


 

 

 

 

pazoo
平成生まれの思うこと

いやー、何か人間の愚かな歴史をまざまざと突き付けられたような感じがしますね。

世界的に規制しないと結局本国に危険が及ぶことって、ちょっとそうぞうしたらわかるやろ!と思いますがわからないものなのですね。

それに、企業の利益優先のやり方。

こうした有害なものを生産する側はいかに危険かを知っているから、自分の身に入れないように工夫しているという話をよく聞きますよね。

じゃあ、作るなよ!

って感じですが、ほんと、お金は人間を狂わすのですね。

資本主義経済がゆえの産物であはありますが、競争があるからこそ今のように発展した世の中があるのも事実。

 

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バランスをとるということは非常に難しいことなのだなあ・・・。